103年ぶりの決勝進出
第百回目を迎える 全国高校野球選手権大会 (夏の甲子園) において、私の故郷 秋田県の代表である 秋田県立金足農業高校学校 が、秋田県勢としては第一回大会以来 103年ぶりに決勝戦へと駒を進めました。
1980年(昭和55年)の4月に大学進学の為に故郷秋田を離れて以降、大学進学 ~ 就職 ~ 結婚 ~ 現在にいたるまで 東京都および千葉県に居住した年数は40年近くとなり、秋田市に在住していた18年間を遥かに超える年数を関東で暮らしているわけですが、未だに 私の『故郷』は、東京都でも千葉県でもなく、秋田県秋田市です。
昭和59年に就職して社会人となった後も、 夏の甲子園大会の 秋田県代表高校の初戦は、なるべく有給休暇を取得してテレビの前で応援 しておりました。
しかし、長男が生まれた1998年から13年間、秋田県代表校は初戦での敗退を繰り返し、 『今年も駄目だったか・・・ 今年の夏も、もう終わったな・・・ 来年に期待するしかないな・・・』 という、諦念と言うか、意気消沈する年を重ねておりました。
そもそもと言うか、私が高校生だった40年ほど前には、秋田県には 共学の私立高校が一校 しかありませんでした。 (旧 秋田経済大学付属高校 現、明桜高校)
今は、県内に共学の私立高校が3校に増えている様ですが、それでも東北地方の他の県と比べると、圧倒的に少ないのです。
しかも、秋田県を除く、他の東北5県には、ここ20年ほどの間に 甲子園常連と言われる 有力私立高校が林立してきました。
『絶対王者』のような強豪高校が存在しない秋田県では、毎年のように 甲子園出場高校が変わります。
「県内においては、優れた投手が在籍している高校」 だったり 「県内においては、強打者が数名、在籍している高校」だったりが、年替わりのような形で秋田県予選を勝ち進み、秋田県代表として出場する・・・という感じでしょうか。
今年は、「県内においては」ではなく、「全国でも屈指の」好投手が存在したこと、そして かねてより 「厳しく苛烈なことで知られている金足農業の猛特訓」 に鍛えられた好打者とが、走攻守 高レベルで噛み合ったことが、快進撃の理由だと思います。
みちのく秋田の県立高校・・・しかも、農業高校の野球部が 私立の強豪校を次々と破っていく様は、まさに漫画やアニメの主人公のようでした。
一戦、一戦 勝ちあがるごとに 『金農旋風』・・・ミラクル・・・奇跡・・・県内に留まらず全国の方々から熱狂的な応援を頂いた2018年の夏。
王者 大阪桐蔭に挑む相手が、ベスト8に勝ち進んだ、他の私立強豪校なら、これほどの熱風は吹かなかったと思いますし、決勝戦での甲子園来場者数を更新することも、無かったかもしれません。
金足農業への熱い応援は、 競馬で言えば 古くはハイセイコー ・・・ そして、 オグリキャップ に通じるものがある気がします。
地方競馬出身でありながら、中央競馬に挑戦し、エリートと言われるライバルたちを、次々と薙ぎ倒していく姿に人々は、己を投影するのだと思います。
人の世も、エリートと呼ばれる人々は、ごく僅か。 勿論、並々ならぬ努力を重ねてエリートになる方もいる訳で、「生まれながら」のエリートは少ないのかもしれません。
それでも・・・ 並々ならぬ努力や克己の末にエリートになることも・・・あるいは出自が良く生まれながらのエリートになることも・・・出来なかった大部分の人々にとって 『俺も頑張れば、ハイセイコーやオグリや金農の生徒みたいに、今からでもエリートと競えるかもしれない』という夢や覇気 そして 『ハイセイコーもオグリも金農の生徒たちも、苦しくても頑張ったんだ。俺も歯を食いしばって頑張ろう!』 という励み・・・ それが 『大多数のエリートに非ざる人々』 に支持され応援されるのではないかと。

103年の年を経ても、故郷秋田に優勝旗が持ち帰えられることは、ありませんでした。
県内の高校のほぼ全てが公立高校の秋田県では、 「一つの高校で高いレベルの投手を複数名 揃える」 ことは、まず不可能です。
大会屈指の投手をもってしても、一人で決勝戦まで投げ切るのは 昭和の時代ならまだしも 今は不可能なことも判りました。
強打者を複数名、一つの高校が擁することも秋田県の公立高校では、難しいでしょう。
どこかひとつ 高校を決めて 県内の優秀な選手を全て集めて 「オール秋田」 のチームを作ったとしても、全国の私立強豪には歯が立たないかもしれません。
秋田県に深紅の優勝旗が来ることは、私が生きている間はおろか、あと100年経っても無いかもしれません。
それでも、全国に金足農業旋風が巻き起こった 2018年の夏 を、私は忘れません。
秋田県立金足農業高校、ありがとう。
自分が秋田県に生まれた事を、嬉しく思います。
1980年(昭和55年)の4月に大学進学の為に故郷秋田を離れて以降、大学進学 ~ 就職 ~ 結婚 ~ 現在にいたるまで 東京都および千葉県に居住した年数は40年近くとなり、秋田市に在住していた18年間を遥かに超える年数を関東で暮らしているわけですが、未だに 私の『故郷』は、東京都でも千葉県でもなく、秋田県秋田市です。
昭和59年に就職して社会人となった後も、 夏の甲子園大会の 秋田県代表高校の初戦は、なるべく有給休暇を取得してテレビの前で応援 しておりました。
しかし、長男が生まれた1998年から13年間、秋田県代表校は初戦での敗退を繰り返し、 『今年も駄目だったか・・・ 今年の夏も、もう終わったな・・・ 来年に期待するしかないな・・・』 という、諦念と言うか、意気消沈する年を重ねておりました。
そもそもと言うか、私が高校生だった40年ほど前には、秋田県には 共学の私立高校が一校 しかありませんでした。 (旧 秋田経済大学付属高校 現、明桜高校)
今は、県内に共学の私立高校が3校に増えている様ですが、それでも東北地方の他の県と比べると、圧倒的に少ないのです。
しかも、秋田県を除く、他の東北5県には、ここ20年ほどの間に 甲子園常連と言われる 有力私立高校が林立してきました。
『絶対王者』のような強豪高校が存在しない秋田県では、毎年のように 甲子園出場高校が変わります。
「県内においては、優れた投手が在籍している高校」 だったり 「県内においては、強打者が数名、在籍している高校」だったりが、年替わりのような形で秋田県予選を勝ち進み、秋田県代表として出場する・・・という感じでしょうか。
今年は、「県内においては」ではなく、「全国でも屈指の」好投手が存在したこと、そして かねてより 「厳しく苛烈なことで知られている金足農業の猛特訓」 に鍛えられた好打者とが、走攻守 高レベルで噛み合ったことが、快進撃の理由だと思います。
みちのく秋田の県立高校・・・しかも、農業高校の野球部が 私立の強豪校を次々と破っていく様は、まさに漫画やアニメの主人公のようでした。
一戦、一戦 勝ちあがるごとに 『金農旋風』・・・ミラクル・・・奇跡・・・県内に留まらず全国の方々から熱狂的な応援を頂いた2018年の夏。
王者 大阪桐蔭に挑む相手が、ベスト8に勝ち進んだ、他の私立強豪校なら、これほどの熱風は吹かなかったと思いますし、決勝戦での甲子園来場者数を更新することも、無かったかもしれません。
金足農業への熱い応援は、 競馬で言えば 古くはハイセイコー ・・・ そして、 オグリキャップ に通じるものがある気がします。
地方競馬出身でありながら、中央競馬に挑戦し、エリートと言われるライバルたちを、次々と薙ぎ倒していく姿に人々は、己を投影するのだと思います。
人の世も、エリートと呼ばれる人々は、ごく僅か。 勿論、並々ならぬ努力を重ねてエリートになる方もいる訳で、「生まれながら」のエリートは少ないのかもしれません。
それでも・・・ 並々ならぬ努力や克己の末にエリートになることも・・・あるいは出自が良く生まれながらのエリートになることも・・・出来なかった大部分の人々にとって 『俺も頑張れば、ハイセイコーやオグリや金農の生徒みたいに、今からでもエリートと競えるかもしれない』という夢や覇気 そして 『ハイセイコーもオグリも金農の生徒たちも、苦しくても頑張ったんだ。俺も歯を食いしばって頑張ろう!』 という励み・・・ それが 『大多数のエリートに非ざる人々』 に支持され応援されるのではないかと。

103年の年を経ても、故郷秋田に優勝旗が持ち帰えられることは、ありませんでした。
県内の高校のほぼ全てが公立高校の秋田県では、 「一つの高校で高いレベルの投手を複数名 揃える」 ことは、まず不可能です。
大会屈指の投手をもってしても、一人で決勝戦まで投げ切るのは 昭和の時代ならまだしも 今は不可能なことも判りました。
強打者を複数名、一つの高校が擁することも秋田県の公立高校では、難しいでしょう。
どこかひとつ 高校を決めて 県内の優秀な選手を全て集めて 「オール秋田」 のチームを作ったとしても、全国の私立強豪には歯が立たないかもしれません。
秋田県に深紅の優勝旗が来ることは、私が生きている間はおろか、あと100年経っても無いかもしれません。
それでも、全国に金足農業旋風が巻き起こった 2018年の夏 を、私は忘れません。
秋田県立金足農業高校、ありがとう。
自分が秋田県に生まれた事を、嬉しく思います。
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by gundogclub
| 2018-08-22 11:23
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