両想い
先日、高校生の長男を迎えに自宅最寄り駅に行ったときのこと。
少し早く駅に着いてしまったので、車中から見るともなく駅前のショッピングビルと駅の連絡通路の方に目をやると、一組の高校生カップルがおりました。
女の子が、男の子の制服の肱のあたりを掴んだまま、少しうつむき加減で、男の子は、少し照れたような感じで笑顔で話をしておりました。
やがて電車が到着する時間が近づいたのか、お互いに何度も振り返って手を振りながら、女の子は駅の中へ、男の子は自転車置き場の方へと消えていきました。
なんか 中森明菜 の 『セカンドラブ』 の歌詞を思い出しました。
あなたのセーター 袖口つまんで
うつむくだけなんて
帰りたくない そばにいたいの
そのひとことが 言えない
その様子を見て、恋人同士に成り立てのカップルなのかもしれないと思いました。
なんとも初々しいと言うか、見ていた私まで、ちょっと せつなくなりました。
さて、男女がカレシ・カノジョの関係になって(あるいは、それ以前の ある特定の異性に好意を持ち意識し始めた時から)、まず互いに注力するのは、相手のことを知ること・・・特に相手の好みを知ることに多大なエネルギーを費やすのではないでしょうか?
好きな食べ物、好きなこと(趣味)、好きな音楽、好きな映画、好きなアイドル・・・etc
自分の “想い人” の好みや趣味嗜好を知ることにより、想い人のことを、より深く知ろうとする のと同時に、無意識に 「何をしたら相手が喜んでくれるのか?」 を知ろうとしている のではないでしょうか?
例えば、カレシがアメカジ(アメリカン・カジュアル)のお店を見て回るのが好きだと知ったら、カノジョの方から 「私もアメカジに興味があるから、今度 お店に連れて行ってくれる?」と甘えれば、カレシさんも喜びますし、加えて次のデートの約束まで、できちゃいます。
多少、打算含み(笑)だとしても、この 「何をしたら相手が喜んでくれるのか?」 を知ることは、新米カップルからの移行期にあたって、とても重要な要素だと思うのです。
で、ここからいきなり犬の話になりますが、犬という相棒は、ニンゲンのカレシ・カノジョ以上に 「何をしたら相手が喜んでくれるのか?」 ということに関して、敏感なのではないかと思います。
『相手(飼い主)が喜ぶことをしたい!』という情熱、『相手(飼い主)は、何をしたら喜ぶのか?』を知ろうとする探求心に、非常に富んだパートナーが犬なのだと思います。
ただ、ここでいくつか問題があります。
まず一つには、人間の恋人も同じですが、会話を重ねなくては、何が好きなのか 何をして欲しいのかを知ることはできません。
相手の表情や仕草から、相手の気持ちや欲求を慮れるようになるのは、ある程度 恋人同士としての時間を紡いだ後のこと・・・。
最初は、やはり互いに会話を重ね、自分の気持や欲求を口に出し、態度で表さなければ相手には伝わりません。
はなから以心伝心のカップル(人間同士も、犬と人も)なんて、いないのです。
飼い主として、自分の気持や欲求を口に出し態度で表し、相手(犬)に伝える努力、相手に伝わりやすい方法を試行錯誤する情熱と根気を持っているのか否かが鍵となります。
もう一つは、一方的に自分の気持ちや欲求を相手(犬)に、押し付けるだけでなはなく、相手の気持ちや欲求も、ちゃんと聞いて理解をする努力をすること。
それをしないと、それは会話(言葉のキャッチボール)ではなく、単なる命令になってしまいます。
また、それでは 犬側から気持ちや欲求を相手(飼い主)に伝える力が磨かれません。
最後の一つは 「所詮、犬は犬。 会話なんて成り立たない」などと、はなから諦めたり、小馬鹿にしたりしない ことです。
きちんと会話が成り立つ『両想いの関係』になれれば、恋人以上に、配偶者以上に、常にあなたを想い、あなたを見つめ、あなたを愛する存在になり得ると、私は思います。
わが家のフラウ姐さんは、「何をすれば彼(筆者)が喜ぶか」の脳内データバンクが膨大です。
例えば、フラウを家に残して競技会遠征などで外泊すると、戻った日の夜は、なかなか布団に入ってきません。 ソファーで拗ねたように丸くなって寝ています。
一度フラウを呼んでも反応なし・・・二度フラウを呼んでも反応なし・・・三度目にフラウを呼ぶと、「はぁ~」と溜息をつきながら 「そんなに私と寝たいなら、仕方ないから行ってあげるわよ! そんなに私が好きなら、私を置いて外泊なんか、しなけりゃいいじゃない!」みたいな態度でソファーから降りて私の蒲団に近づいて来ますが、嬉しさで断尾された尻尾をピコピコと激しく振りながら近づいてくるものですから、「本当は呼ばれて嬉しい癖にっ!」って苦笑してしまいます。
フラウなりに、彼女が考えた 「拗ねたふりの演出」で、しかもそのような拗ね方をすると私が喜ぶと思っているのかも・・・
「所詮、犬は犬」などと思わないで、両想いの素敵なカップルが増えることを私は願っています。
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少し早く駅に着いてしまったので、車中から見るともなく駅前のショッピングビルと駅の連絡通路の方に目をやると、一組の高校生カップルがおりました。
女の子が、男の子の制服の肱のあたりを掴んだまま、少しうつむき加減で、男の子は、少し照れたような感じで笑顔で話をしておりました。
やがて電車が到着する時間が近づいたのか、お互いに何度も振り返って手を振りながら、女の子は駅の中へ、男の子は自転車置き場の方へと消えていきました。
なんか 中森明菜 の 『セカンドラブ』 の歌詞を思い出しました。
あなたのセーター 袖口つまんで
うつむくだけなんて
帰りたくない そばにいたいの
そのひとことが 言えない
その様子を見て、恋人同士に成り立てのカップルなのかもしれないと思いました。
なんとも初々しいと言うか、見ていた私まで、ちょっと せつなくなりました。
さて、男女がカレシ・カノジョの関係になって(あるいは、それ以前の ある特定の異性に好意を持ち意識し始めた時から)、まず互いに注力するのは、相手のことを知ること・・・特に相手の好みを知ることに多大なエネルギーを費やすのではないでしょうか?
好きな食べ物、好きなこと(趣味)、好きな音楽、好きな映画、好きなアイドル・・・etc
自分の “想い人” の好みや趣味嗜好を知ることにより、想い人のことを、より深く知ろうとする のと同時に、無意識に 「何をしたら相手が喜んでくれるのか?」 を知ろうとしている のではないでしょうか?
例えば、カレシがアメカジ(アメリカン・カジュアル)のお店を見て回るのが好きだと知ったら、カノジョの方から 「私もアメカジに興味があるから、今度 お店に連れて行ってくれる?」と甘えれば、カレシさんも喜びますし、加えて次のデートの約束まで、できちゃいます。
多少、打算含み(笑)だとしても、この 「何をしたら相手が喜んでくれるのか?」 を知ることは、新米カップルからの移行期にあたって、とても重要な要素だと思うのです。
で、ここからいきなり犬の話になりますが、犬という相棒は、ニンゲンのカレシ・カノジョ以上に 「何をしたら相手が喜んでくれるのか?」 ということに関して、敏感なのではないかと思います。
『相手(飼い主)が喜ぶことをしたい!』という情熱、『相手(飼い主)は、何をしたら喜ぶのか?』を知ろうとする探求心に、非常に富んだパートナーが犬なのだと思います。
ただ、ここでいくつか問題があります。
まず一つには、人間の恋人も同じですが、会話を重ねなくては、何が好きなのか 何をして欲しいのかを知ることはできません。
相手の表情や仕草から、相手の気持ちや欲求を慮れるようになるのは、ある程度 恋人同士としての時間を紡いだ後のこと・・・。
最初は、やはり互いに会話を重ね、自分の気持や欲求を口に出し、態度で表さなければ相手には伝わりません。
はなから以心伝心のカップル(人間同士も、犬と人も)なんて、いないのです。
飼い主として、自分の気持や欲求を口に出し態度で表し、相手(犬)に伝える努力、相手に伝わりやすい方法を試行錯誤する情熱と根気を持っているのか否かが鍵となります。
もう一つは、一方的に自分の気持ちや欲求を相手(犬)に、押し付けるだけでなはなく、相手の気持ちや欲求も、ちゃんと聞いて理解をする努力をすること。
それをしないと、それは会話(言葉のキャッチボール)ではなく、単なる命令になってしまいます。
また、それでは 犬側から気持ちや欲求を相手(飼い主)に伝える力が磨かれません。
最後の一つは 「所詮、犬は犬。 会話なんて成り立たない」などと、はなから諦めたり、小馬鹿にしたりしない ことです。
きちんと会話が成り立つ『両想いの関係』になれれば、恋人以上に、配偶者以上に、常にあなたを想い、あなたを見つめ、あなたを愛する存在になり得ると、私は思います。
わが家のフラウ姐さんは、「何をすれば彼(筆者)が喜ぶか」の脳内データバンクが膨大です。
例えば、フラウを家に残して競技会遠征などで外泊すると、戻った日の夜は、なかなか布団に入ってきません。 ソファーで拗ねたように丸くなって寝ています。
一度フラウを呼んでも反応なし・・・二度フラウを呼んでも反応なし・・・三度目にフラウを呼ぶと、「はぁ~」と溜息をつきながら 「そんなに私と寝たいなら、仕方ないから行ってあげるわよ! そんなに私が好きなら、私を置いて外泊なんか、しなけりゃいいじゃない!」みたいな態度でソファーから降りて私の蒲団に近づいて来ますが、嬉しさで断尾された尻尾をピコピコと激しく振りながら近づいてくるものですから、「本当は呼ばれて嬉しい癖にっ!」って苦笑してしまいます。
フラウなりに、彼女が考えた 「拗ねたふりの演出」で、しかもそのような拗ね方をすると私が喜ぶと思っているのかも・・・
「所詮、犬は犬」などと思わないで、両想いの素敵なカップルが増えることを私は願っています。
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by gundogclub
| 2014-11-10 15:12
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