僕は今日「処分されたよ」
facebookで、 『友人の友人』 が掲載した写真と文章を読んで、涙が止まらなくなりました。
飼い主によって保健所に持ち込まれて、処分された 男の子(犬)が 飼い主に充てて書いた手紙の形式で、綴られています。
この友人の友人が作者なのか、元ネタがあるのかは判らないのですが・・・
Dear Mom and Dad,
愛するパパとママへ
僕は今日「処分」されたよ
僕に我慢出来なくなったパパとママは僕をシェルターに連れて行ったね
シェルターは満杯で僕が貧乏くじを引いちゃったんだ
今僕は黒いビニールの袋の中
パパとママが置いていった擦り切れたロープは他の子犬達にあげる
僕はすごく汚かったけど、虹の橋を渡る前に係りの女の人が綺麗にしてくれたんだ
もし靴を噛んでなかったらまだ家に置いてくれてたのかな
多分あれは革で出来てて床に落ちてたからただ遊んだだけなんだ
だって子犬用のおもちゃを買ってくれなかったから・・
家の物を破壊したりしなかったらまだ家に置いてくれてたのかな
恥ずかしい事しちゃったのかもしれないけど、でもしつけの本やしつけ教室とかで僕にきちんと教えてくれたら僕だって覚えたと思うよ・・
家の中にノミを入れてなかったらまだ家に置いてくれてたのかな
ノミよけの薬無しで僕の事ずっと庭に置きっぱなしだったからしょうがなかったんだよ・・・・
もしあんまり吠えてなかったらまだ家に置いてくれてたのかな
僕はただ「怖いよ」とか「寂しいよ」とか「僕ここに居るよ!仲良くしたいんだよ!」とか言いたかっただけなんだけどね・・
もしパパとママをもっと幸せにしてあげてたらまだ家に置いてくれたのかな
叩かれるだけじゃ僕だってどうしていいか分からなかったんだよ
もしパパとママにもっと僕の事を世話したりしつけする時間があったらまだ家に置いてくれてたのかな
パパとママが僕に構ってくれたのは最初の一週間だけだったけれど、僕はずっとずっと愛してくれるのを待っていたんだよ・・
僕は今日「処分」されたよ
愛を込めて パパとママの息子より
Love, Your Puppy
我が家には、牡犬もおれば牝犬もおります。
そして、これは私だけの感覚なのかもしれませんが 牡と牝とでは 何となく違うんです。
同じ犬ではあるのだけれど 牝は 「娘」という感じの他に、恋人だったり 奥さんだったり 「異性」 として捉えている部分があります。
それに対して牡は 「息子」 と言うか ヤンチャ坊主と言うか 「お前、しょうがねぇ奴だなぁ~!」 という感じ。
男の子は、甘え方がストレートで、やんちゃで悪戯坊主で、かわいい・・・
上記の 飼い主に充てた手紙は 「男の子」から 飼い主であったパパとママに充てた手紙形式なのが 我が家の歴代のやんちゃ坊主 シャドー そしてソロモンを思い浮かべながら読むと、とても涙なくしては読めませんでした。
思いますに、 スポーツでも習い事でも 何か新しいことを始めると早晩、 「壁」 に突き当たるように思います。
特に独学の場合は、その傾向が大きいと思います。
例えば、自宅に馬屋を持てるような大きなお屋敷に住んでいたとしても、活字と写真が掲載された「馬術教本」を読みながら、敷地内の馬場で独学練習をしても上達はしません。
やはり、インストラクターが居てレベルに応じて課題を出してくれたり、アドバイスをしてくれなくては、上達は望めません。
同様に、犬と初めて暮らす人にとって 犬と暮らすうえでの 「もろもろ悩み事相談」 などが可能なイベントなどが必要なのではないかと思います。
「犬を訓練」 というよりは、「飼い主側にアドバイスする」 ことの方が重要な場合も多いですし。
そういうイベントを、地方自治体とか保健所などが主催(無料相談会とか)してくれることにより、収容や処分が減っていくのであれば、長い目で見ると自治体の経費削減にも寄与できるのではないかと思います。
習い事で使う「道具」ならば、どんなに高価な馬具だろうがピアノだろうが、転売したり捨てたりすることも出来ますが、「命ある犬や猫を捨てる」 ことは、「道具」 と同列で語ることは出来ませんし、認められることでもありません。
そして、いつも感じることは 「傷つくべき人が傷つかず、必要のない人が心に傷を負っている」という現実。
友人の保護活動家や保護団体、またネットで繋がった保護活動家の方々は、日々保護に奔走しています。
facebookなどにも 「飼い主が保健所に持ち込むと言っている犬を、猶予期間を貰って里親を探したけれど結局、里親が見つからなかった。 飼い主から明日、保健所に持ち込むと連絡があったので、これから自分が一時預かりをする為に飼い主の元に向います」 などと関東在住の方が 中国地方まで徹夜で車を走らせたり・・・
犬を保健所に持ち込む飼い主、犬を野山に捨てる飼い主、乱繁殖させる繁殖工場のオーナー ・・・ その人たちが心に傷を負うことはありません。
一方、保護する側の人々は 自腹を切って活動し、家族から理解を得られないことに苦しみ、失われた命に悲しみ、心は傷つき血を流す。。。
こうして、このブログを書いている 3月27日の午前中だけでも、全国で何頭の 何の罪もない犬たちが「処分」されたことか。
とは言え、個人個人で出来ることは本当に限られています。
何ができるのか?
私自身は、これから犬と暮らしていくうえで 我が家の犬たちの構成に必ず 「保護犬枠」を設けようと思っています。
まあ、これから30年間 犬と暮らし続けるとして 実際にその「保護犬枠」で命が助かる犬は3~4頭に過ぎないかもしれません。
しかし、多頭飼いをしている愛犬家が 「1頭は保護犬から」 と思って頂けるだけで とても多くの犬の命が救われると思うのです。
ドッグスポーツの愛好家の飼い主さんも 「うちは、ディスクドッグだけ!」 とか 「アジリティで使えない犬は不要」 と考えずに 「1頭くらい、ディスクを追わない犬がいてもいいかな」&「アジ犬でない犬も1頭くらい、いいかな!」 などと考えて頂ければ、多くの命が救われるのではないかと思います。
写真は、我が家のエステルさん 北関東の保健所に収容されていた時の写真 & その後の写真です。
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飼い主によって保健所に持ち込まれて、処分された 男の子(犬)が 飼い主に充てて書いた手紙の形式で、綴られています。
この友人の友人が作者なのか、元ネタがあるのかは判らないのですが・・・
Dear Mom and Dad,
愛するパパとママへ
僕は今日「処分」されたよ
僕に我慢出来なくなったパパとママは僕をシェルターに連れて行ったね
シェルターは満杯で僕が貧乏くじを引いちゃったんだ
今僕は黒いビニールの袋の中
パパとママが置いていった擦り切れたロープは他の子犬達にあげる
僕はすごく汚かったけど、虹の橋を渡る前に係りの女の人が綺麗にしてくれたんだ
もし靴を噛んでなかったらまだ家に置いてくれてたのかな
多分あれは革で出来てて床に落ちてたからただ遊んだだけなんだ
だって子犬用のおもちゃを買ってくれなかったから・・
家の物を破壊したりしなかったらまだ家に置いてくれてたのかな
恥ずかしい事しちゃったのかもしれないけど、でもしつけの本やしつけ教室とかで僕にきちんと教えてくれたら僕だって覚えたと思うよ・・
家の中にノミを入れてなかったらまだ家に置いてくれてたのかな
ノミよけの薬無しで僕の事ずっと庭に置きっぱなしだったからしょうがなかったんだよ・・・・
もしあんまり吠えてなかったらまだ家に置いてくれてたのかな
僕はただ「怖いよ」とか「寂しいよ」とか「僕ここに居るよ!仲良くしたいんだよ!」とか言いたかっただけなんだけどね・・
もしパパとママをもっと幸せにしてあげてたらまだ家に置いてくれたのかな
叩かれるだけじゃ僕だってどうしていいか分からなかったんだよ
もしパパとママにもっと僕の事を世話したりしつけする時間があったらまだ家に置いてくれてたのかな
パパとママが僕に構ってくれたのは最初の一週間だけだったけれど、僕はずっとずっと愛してくれるのを待っていたんだよ・・
僕は今日「処分」されたよ
愛を込めて パパとママの息子より
Love, Your Puppy
我が家には、牡犬もおれば牝犬もおります。
そして、これは私だけの感覚なのかもしれませんが 牡と牝とでは 何となく違うんです。
同じ犬ではあるのだけれど 牝は 「娘」という感じの他に、恋人だったり 奥さんだったり 「異性」 として捉えている部分があります。
それに対して牡は 「息子」 と言うか ヤンチャ坊主と言うか 「お前、しょうがねぇ奴だなぁ~!」 という感じ。
男の子は、甘え方がストレートで、やんちゃで悪戯坊主で、かわいい・・・
上記の 飼い主に充てた手紙は 「男の子」から 飼い主であったパパとママに充てた手紙形式なのが 我が家の歴代のやんちゃ坊主 シャドー そしてソロモンを思い浮かべながら読むと、とても涙なくしては読めませんでした。
思いますに、 スポーツでも習い事でも 何か新しいことを始めると早晩、 「壁」 に突き当たるように思います。
特に独学の場合は、その傾向が大きいと思います。
例えば、自宅に馬屋を持てるような大きなお屋敷に住んでいたとしても、活字と写真が掲載された「馬術教本」を読みながら、敷地内の馬場で独学練習をしても上達はしません。
やはり、インストラクターが居てレベルに応じて課題を出してくれたり、アドバイスをしてくれなくては、上達は望めません。
同様に、犬と初めて暮らす人にとって 犬と暮らすうえでの 「もろもろ悩み事相談」 などが可能なイベントなどが必要なのではないかと思います。
「犬を訓練」 というよりは、「飼い主側にアドバイスする」 ことの方が重要な場合も多いですし。
そういうイベントを、地方自治体とか保健所などが主催(無料相談会とか)してくれることにより、収容や処分が減っていくのであれば、長い目で見ると自治体の経費削減にも寄与できるのではないかと思います。
習い事で使う「道具」ならば、どんなに高価な馬具だろうがピアノだろうが、転売したり捨てたりすることも出来ますが、「命ある犬や猫を捨てる」 ことは、「道具」 と同列で語ることは出来ませんし、認められることでもありません。
そして、いつも感じることは 「傷つくべき人が傷つかず、必要のない人が心に傷を負っている」という現実。
友人の保護活動家や保護団体、またネットで繋がった保護活動家の方々は、日々保護に奔走しています。
facebookなどにも 「飼い主が保健所に持ち込むと言っている犬を、猶予期間を貰って里親を探したけれど結局、里親が見つからなかった。 飼い主から明日、保健所に持ち込むと連絡があったので、これから自分が一時預かりをする為に飼い主の元に向います」 などと関東在住の方が 中国地方まで徹夜で車を走らせたり・・・
犬を保健所に持ち込む飼い主、犬を野山に捨てる飼い主、乱繁殖させる繁殖工場のオーナー ・・・ その人たちが心に傷を負うことはありません。
一方、保護する側の人々は 自腹を切って活動し、家族から理解を得られないことに苦しみ、失われた命に悲しみ、心は傷つき血を流す。。。
こうして、このブログを書いている 3月27日の午前中だけでも、全国で何頭の 何の罪もない犬たちが「処分」されたことか。
とは言え、個人個人で出来ることは本当に限られています。
何ができるのか?
私自身は、これから犬と暮らしていくうえで 我が家の犬たちの構成に必ず 「保護犬枠」を設けようと思っています。
まあ、これから30年間 犬と暮らし続けるとして 実際にその「保護犬枠」で命が助かる犬は3~4頭に過ぎないかもしれません。
しかし、多頭飼いをしている愛犬家が 「1頭は保護犬から」 と思って頂けるだけで とても多くの犬の命が救われると思うのです。
ドッグスポーツの愛好家の飼い主さんも 「うちは、ディスクドッグだけ!」 とか 「アジリティで使えない犬は不要」 と考えずに 「1頭くらい、ディスクを追わない犬がいてもいいかな」&「アジ犬でない犬も1頭くらい、いいかな!」 などと考えて頂ければ、多くの命が救われるのではないかと思います。
写真は、我が家のエステルさん 北関東の保健所に収容されていた時の写真 & その後の写真です。
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by gundogclub
| 2014-03-27 11:34
| 保護活動